佐渡小判について

江戸時代、佐渡金山は徳川幕府直轄の「天領」となり、その豊富な産金量は300年にわたる幕府の存続を支えました。
佐渡で小判を鋳造したのは、元和7(1621)年に始まって文政元(1818)年までとされています。
佐渡で鋳造された小判で現存するものには、宝永佐渡小判、正徳佐渡小判、正徳佐渡一分金があります。
佐渡では鉱石の採掘から精錬、小判作りまでを一貫して行っていました。当時最先端の知識や技術により、成し得たものだと思います。
また、佐渡では島内だけで流通する印銀・銅銭・鉄銭も作られていました。

佐渡金山の歴史

佐渡金山(さどきんざん)は、新潟県佐渡市にある金山です。
慶長6(1601)年に金脈が発見されて以来、盛衰を繰り返しながら平成元年まで388年間採掘が続けられました。
江戸時代初期の最盛期には金が1年間に400kg、銀が40トン以上採掘される日本最大の金山であり、産銀についても日本有数のものであり江戸幕府による慶長金銀の材料を供給する重要な鉱山でした。
金山の景気にわく佐渡を目指して、全国各地から鉱山技術者や商人、労働者たちが集まり、周辺の町は大変栄えたといいます。江戸と直結していた佐渡には、当時最先端の知識や技術がもたらされ、全国各地から集まった人々は地域色豊かな文化を佐渡に根付かせました。
明治に入ると、新政府は、他鉱山に先駆けて佐渡鉱山の官営化を決め、西洋人技術者を招いて近代化に着手します。

明治23(1890)年には鉱山学校も開校し、当時最先端の鉱山技術を授けたほか、他鉱山からも研修希望者が多く、近代化を担う技術者の養成にも貢献しました。
明治29(1896)年、それまで皇室財産だった佐渡鉱山は三菱合資会社に払い下げになり、民営化されます。以後、平成元(1989)年の採掘中止に至るまで、三菱による経営が続きました。
現在は金の値段と労働賃金がつりあわなく採算が取れないため採掘を中止して、観光施設となっています。坑道の総延長は実に約400kmに及ぶが、そのうち約300mが観光ルートとして公開されており、採掘風景を再現した人形が70体あまり設置されています。

  

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